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企画委員会Planning

月島・築地方面~青学のルーツを訪ねる~ 


                   2019年6月2日(日)
                     参加者22名

 石川島人足寄場跡,住吉神社,波除神社など月島の史跡をたどったあとで,月島名物のもんじゃ焼きで昼食
その後築地に渡り青山学院発祥の地など数々のミッション系学校のルーツ跡を経て,築地本願寺まで,およそ
13000歩の史跡見学でした。

月島駅に集合,駅構内の隅で受付後に,増田企画委員長から本日の行程の説明が
海水館跡に向かって歩きます 海水館跡 左隣りのマンション名も海水館
海水館は明治にこの地にあった旅館・下宿屋で,風光明媚なことから多くの文人が滞在した 島崎藤村・小山内薫・竹久夢二など
この光景も令和で終わるのかもしれない レバーフライで有名なひさご屋の前を進む
「カーサ相生」というマンション 梵寿綱の初期の建築で当時の名は田中俊郎であった
 事情通の増田委員長が,改装中の石川記念病院についての情報を語る
タワーマンションの敷地内に残る煉瓦モニュメント 石川島灯台を模して復元したトイレ 
 
かつてはこのあたりに,火付盗賊改方長谷川平蔵が設置した人足寄場があったのだろうと感慨にふける参加者たち
佃街角資料館 このあたりは佃島渡船場跡でもある 
佃島渡船場跡の解説 佃煮はここが発祥の地 老舗の店に殺到
住吉神社 天正18年に摂津の国佃の住吉神社を分霊したもの 水盤舎の四周の欄間には、懐かしい佃島周辺が描かれた浮き彫り
珍しい陶製篇額 題字は有栖川宮幟仁親王の筆 拝殿・幣殿・本殿が連結された権現造であるが,見えるのは拝殿
東京鰹節類卸商業協同組合によって建立された鰹塚  八角神輿 天保九年(1838)のもの
佃小橋から住吉神社とタワーマンションを臨む 背景の赤い欄干の橋が佃小橋
於咲波除稲荷神社 さし石 力石で力比べに用いた
扁額に「正一位」とある 人ひとりやっとの路地を見入る
その路地のなかにある佃天台子育地蔵尊 イチョウが突き抜けている  地蔵菩薩が彫られている
路地を抜けてみるとイチョウの枝は周辺民家の屋根を覆っていた  月島といえばもんじゃ焼き 老舗の能登で昼食 
慣れた手つきでもんじゃを焼く こちらは見よう見まねで 
月島の西仲通り交番 警視庁で最古の交番だそうです   対岸に見えるのは聖路加ガーデンオフィスタワーと聖路加レジデンス
佃大橋から見る勝鬨橋方面 
見ているのはヘンリー・フィールズの住居跡 彼は英国人医師で科学的指紋法の論文を最初に発表した人物 
 あかつき公園のシーボルト像の前で ここが蘭学発祥の地であることと,シーボルトの娘いねが産院を開いたことなどで設置された
 
中央区立郷土天文館「タイムドーム明石」  江戸時代の資料が展示されている 
青山学院発祥の地の前で(印刷する場合は,クリックすると拡大画像が表示されるので,別名で保存してから使用してください)  
   
ガス街灯柱 柱は鋳鉄製でコリント風の様式 
 カトリック築地教会聖堂 修復中で残念でした なぜかパルテノン神殿風
 
雙葉学園発祥の地  関東学院発祥の地 
   
 暁星学園発祥の地 立教女学院発祥の地 
青山学院の碑が最も手入れされていないと・・・  立教学院発祥の地 
 
 慶應義塾発祥の地 蘭学事始の碑を前に説明する増田委員長
   
蘭学事始の碑  立教学院発祥の地の碑を眺める 
聖路加病院前で ここはかつての築地居留地のあとで,1974年にアメリカ公使館がここに移転。その公使館に由来する石  
   
明石町にはかつて赤穂藩浅野家の江戸上屋敷があった  左手奥の奥のビルのあたりが耕教学舎跡 
築地本願寺に到着,増田委員長から説明がありました 
築地本願寺の前で記念撮影(印刷する場合には画像をクリックすると拡大画像が表示されます。それを保存して印刷してください) 

                        


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